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「性」

「習い性となる」という慣用句がある。

 

その謂(いい)は「習慣は、ついにはその人の生まれつきの性質のようになる」で、読みの区切りは「習い性、となる」ではなく「習い、性となる」である。

 

で問題はこの「性」を「しょう」と読むか「せい」と読むか。

虚誕堂は長く「せい」と読み、言って来たが、先日、好きな作家、今野敏「欠落」の336ページに

『彼は白けてなどいない。そういう振りしているうちに、それがいつのまにか習い性になってしまっただけだ。』

というフレーズが出てきたが、この「性」に「しょう」とふりがなを付けていた。ちょっとショック。

 

この小説も、もうすぐ終わると云う頃に出て来たのでそのまま読み進めたが、真中あたりで出てきたら気になって仕方がなかったろうと思う。

 

調べてみた。

結果、「せい」が正しく「しょう」は間違いだが、「しょう」といのも増えてきているとのこと。少し安心した。

 

この例は、著者本人ではなく編集者が間違った「ふりがな」を付けたのかもしれない。

彼のファンとしてはそう思いたいところである。

 

 

 

*今日は何の日:国立国会図書館開館(1948)

*この日生まれの有名人:古今亭志ん生(落語家・1890)

*今日の花:マリーゴールド(きんせんか)

*花ことば:可憐な愛情

author:Jさん, category:-, 10:06
comments(6), -
Comment
虚誕堂さま

ハと八はよく似ている。
けんど、それは8と書いてあるんや。
1〜12まであって、お囃子は六・七・八を使うことが多い。
七と書いてあったら愚僧のを送らなあかんと思うた。
eight tea が「使うてえんのやし虚誕堂さんにあげよし」て言うたし。

ハ長調の八てかいてあって良かったあ〜
草閑人, 2017/06/08 1:46 PM
草閑人さま
「篠笛買うときは勝手に買わずに、今の先生に相談されることが絶対に大事」とのアドバイス了解だす。

2〜3年待つのは構わない。虚誕堂の上達もそのくらいは見ておいたほうがいいので、、、、。

ただ篠笛ごときに100万円以上払うつもりはない。何とか98万円にならないか交渉してみる。
虚誕, 2017/06/06 6:50 PM
賢翁

出版の始まりは京都の豪商角倉了以(高瀬川を掘った人)に始まる。

書店を本屋とよく言うが「本屋」はかつて京都の書肆の屋号であったのが一般名詞になったんよ。
書店も小売と出版とがあるんで混同を避けるため出版社の方を板元または版元という。
江戸期の板元は戯作家(貧乏)・絵師(貧乏)・彫師(貧乏)・摺師(貧乏)がいて小売の草子屋に支配されていたんや。
現在の京都の大手呉服屋に似ている。
オヌシの隣のKちゃんのお父さんも古典から現在的なものを熟す絵師であったなあ〜。

愚僧もいっとき版元に勤めたが、一番下っ端のする原稿取りから始まった。校正はやらされたが単に修行(資質を見る)で全く信用はされてなかった。
「ほらなっ、見落しだらけやろ」で終わり。
これは知識よりも、慣れ・性分・才能など特殊能力。
しかし、岩波の校閲部長は編集長より格上で高額かつ個室をもっている。

「君はアホやから仕事をしんと、毎金曜日に水道橋の出版会館へ勉強に行くことを命ず」と辞令を受けて半年後通わせていただいた。
先生は岩波書店の校閲部長で多くを学び多大な影響を受けた。
アホをものにしようと時間と金を出してくれた社長と編集長に今も感謝している。
退社後も申し訳なくて、毎年誕生日に花を持ってご機嫌伺いに行っていたが、社長はもう亡くなられた。残念。


笛を買う時には勝手に買わずに、今の先生に相談されることが絶対に大事。

加納義弘のように2〜3年待って名工に仕立させるのでがベストやが100万以下では絶対に無理やと思うぞ。
草閑人, 2017/06/06 12:33 PM
草閑人さま
先ずは編集者犯人説の撤回。
そうか編集者はエライのだな。
ともあれ、つい最近まで編集者とは作家先生の元へ原稿を貰いに行く人と思っていたぐらいだから、「青入れ」は知らなんだ。

次に篠笛。
たしかにプラでちゃんとした音程のモノを一度作れば後はそれを型にコピーが作れる。
これでハズレは出ない。しかも2000円。ありがたやありがたや。
でも上達した暁には自分へのご褒美としてちゃんとしたン万円の、少し手こずるモノを手に入れたいと思うネジ。


虚誕, 2017/06/06 8:36 AM
賢翁

音程の正確さに置いて、プラスチックの篠笛、プラスチックの尺八に勝るものはない。
勿論、竹でも正確な音程を奏でるのは多々あるが、時にハズレも少なからず。
こういうものに当たった場合はヨヨと泣くしかないのであります。
篠笛役に尺八用の竹は築数十年〜百数十年の茅葺き屋根の解体現場に駆けつけて確保。
または切り出した竹を油抜きしてから人工的に時間をかけてスモークし飴色にする。由緒正しくない者も買えない。
漆塗りも買えない。カシュぬりで数万円。

まあしかし、和楽器の良さは紅毛人の絶対音感に対して絶対音律になっている上、雑音(不協和音)も味わいとなっておるからシーシー言おうが気にしない。

雅楽を聴いて育った愚僧は、楽器の源流を訪ねて朝鮮民族音楽芸術院まで聴きにいき見てきた。

何のことはない日本の古典楽器といわれるモノの全て(火焔太鼓、火焔小太鼓、擦鐘、打鐘、鼓、大鼓、締め太鼓、尺八、篠笛、琴、琵琶)、等々全部あるのである。

何が違うかといえば、日本の楽器はサビ(不協和音)を人工的に完成させたということに尽きるのではあるまいか。

三味線の二の糸三の糸にはあるが、一の糸にだけは上駒(フレット)が外してあ了解乳袋に凹がって一の糸は響くと糸が竿に二度触れて響くのでビヤ〜ンと障りがでる。
この不協和音が義太夫でもジョンガラ、長唄、端唄、小唄、都々逸でも由緒正しい日本人の心にジワーと沁みてくるのであります。

機械やその部品の数々を工夫して正確無比の音階装置を開発した紅毛人を高く評価する。
同時に、自然界の音にはそんなモノは存在しないから、如何に自然的な音律にするか工夫を重ねた日本人も佳い。
が、ゆえに紅毛人楽器よりも技術習得が格段に難しいのが難点。

篠笛何ぞ金属伸縮喇叭やヒストン喇叭のように、正確でのうてもええ。

観世会館で能管の大家というジジイの模範演奏を聴いたが、敢えてシーシーやビービーをやっておった。で、涙が出たよ。

虚誕堂ジージー頑張れ〜!
草閑人, 2017/06/05 9:34 PM
賢翁

何やか草閑人好みの表題やと思うたのにのに…

虚誕堂先生に講談社に代わって申し上げます。

編集者が漢字の読みを間違ってルビを振るということは絶対にありませぬ。
「習い性となる」は、「ならイ せいトナル」でよいのでありますが、今野敏が編集者に指示して「ショウ」敢えてとルビを振らせたのに違いありませぬ。
編集者はゲラ(初校)から二校まで自社で校正します。植字=オペレートの間違いは既にない状態にしてから(全く信用はしていない=役に立たない)著者校正に出します。この時明らかな誤りには赤を入れ、著者に対する語彙や送り仮名、著者の誤認ではないかと思われるモノや提案・.代案に「畏れながらの意味の」青を入れます。青入れは余程の経験者である上に内部で論議してからであります。
著者の了解を得て三校行い、更に(四校)念校を経て印刷前にかけますから編者が勝手にルビを振ることはあり得ませぬ。
じゃから、ほんで、したがって、せやから、今野敏の指示があったと思うべきやと。

多分タブンやけど、ここに「ならイせいトナル」を十分知った上での今野の拘りがあると見る。
性をセイと読むと愚僧のように gendfr をすぐ思い浮かべるヤツがいるので、ショウと読ませ、本来の「生まれつ・サガ」にしたかったんやないか。
とスイサツするのんや。
草閑人, 2017/06/05 4:03 PM